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2009. 02. 21  
親友がなくなった次の年に母の弟が癌で亡くなった。親友の死を経験していたけれど、その死は全く違う物だった。

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秀蔵おじさんの旅立ちにあたり

 兄の携帯から母が心臓の血管病である大動脈瘤であること、また秀蔵おじが末期ガンであることを知らされたのはほんの一ヶ月ちょっと前である。無事新年を迎えたと思っていたらとんでもない話である。母の場合はまだその恐れがあるということで確定したわけでなく、さらにたといそうだとしても病状は軽く即死に至るものではない。そしてそれは最新式のMRI検査によりその病気ではないことが確認されどっと力が抜ける思いであった。それはともかく秀蔵おじの場合は深刻だった。食道が原発巣のガンでありすでに肝臓などに転移を起こし手の施しようがない状態であった。

 昨年私の友人もスキルス胃ガンで末期ガンの宣告を受け最期まで戦い力尽きた。新聞や雑誌には末期ガンから回復した話が沢山出てはいるが、それは本当に珍しいことであり、宝くじに当たるよりも非科学的でありそれに当たるのはよほどの幸運の持ち主なのではないかと思う。友人の場合はその僅かな奇跡に賭け、死を受け入れることをしなかった。私たち友人もそんな彼の姿に共感を覚え(と言うよりは無我夢中で)最期まで応援し続けた。とは言っても我々にできることは物質的なものではなく精神的なものが大半である。もちろん末期ガンの患者に対してはそのような支援が本当に重要なのだと思う。生きようとする友人のため何ができるかいろいろ考えながらさまざまな試みを行った。友人もそれに応え告知では数週間の命しかなかったところ半年以上も元気に頑張る姿を見せてくれたのだ。決して延命するため無理な治療を行ったわけではない。抗がん剤があわず苦しんだときはすぐに使用を止め正気を取り戻すことを優先とした。どんなに長生きをしても意識がなくなっては何の意味もない。残念ながら最期の十日程度はかなり悪化し、鎮痛剤の影響で意識もうろうとしまともな話はできなくなってしまったが、苦しみは軽減されていたのではないかと思う。

 秀蔵おじの場合はとても厄介だ。告知を受け生き延びるのが無理であるとわかったときから死を受け入れ、抗がん剤治療さえ行うことを拒否してしまった。それが悪い判断とは思わないが、死を待つだけの人にどのように接してよいのか私にはわからない。応援する訳にも行かない。思い出話をするにも私にはそのネタを持ち合わせていない。会いに行きたくてもそのような理由から足が動いてくれなかった。

 先週末に兄からお見舞いの誘いがありいよいよ行くことになった。どんなに衰弱していても私は昨年筋骨粒々だった友人の衰弱した姿を見ていたので驚くことはないだろう。それに告知を受けてまだ一ヶ月ちょっとしか経っていない。それまで元気?に歩いていた人がそれだけの日にちで弱るはずがないと思っていた。実際友人は告知を受け入院したものの精神的なショックで弱ってしまったことはあっても6ヶ月以上は歩くことができたのだ。進行の速いスキルス胃ガンであってもそうなのだから進行が遅いと言われる老人はまだまだ大丈夫なはずだと思っていた。

 おじは予想通りであった。インフルエンザで40度の熱が出てそれが収まりかけている位の衰弱状態。辛くても食べることができる、それに手などを見てもまだまだ痩せてはおらずガンにくれてやる栄養は残っているようだった。しかし病は気からと言うのが全く当てはまるのだろう。死を受け入れたおじは気持ちの上から相当なスピードで衰弱していたのだと思う。

 友人が頭がぼさぼさの状態で今にも死にそうな状態で寝ているときに(本当にこんなことを言ってよかったのか心配になるが)、「こんなことだから病気が進行するんだ、頭を洗ってさっぱりすれば治った気になるさ。」と言ったら次の日早速頭を洗い次の週には自宅に外泊するまで回復したことがあった。病気の告知を受けたときもそうだ。ちょっと前までは具合が悪くてもマラソンをしたり、自転車に乗ったり元気にしていたのに入院した途端パジャマを着て歩くのもままならなくなってしまった。そのまま知らなければずっと元気で頑張っていたかもしれない??

 おじを見て少し安心した。あの状態なら後数ヶ月は大丈夫だろうと思った。春の桜も見られるかもしれない。うまくいったら息子の婚約者も見つけ出し滑り込みで紹介できるかもしれない!複雑な心境ではあったがそんな気持ちでおじの家を後にした。

 ところがそのおじが今日亡くなったと連絡を受けた。あれから僅か3日だ。見舞いの次の日辺りから話すのもままならなくなり、昨晩病状が急変しそのまま帰らぬ人になってしまったようだ。とても残念な気がした。あまりにあっけなかったのではないか?何もできない体だから死を受け入れたが、それにしても早すぎではないか?もう少し長生きし、いろんなことを奥さんや子供に話すことができたはずではないのか。

 でも、これは秀蔵おじの決めた生き方/死に方だったのだと思う。人に余計な心配、苦労をかけず潔く決別した。(と言ってよいかどうかははなはだ疑問ではあるが。)何れにせよ私が何を言おうと関係がない話だ。私はそのような現実をみてこれからの生き方の肥しにするだけだ。悲しいけれど、生あるものは何れ死ぬ。その死に方はいろいろだ。そもそもそんな死に方がどうだろうと、今を生きる自分の姿がどうだろうかということの方が大事なのだと思う。
 

2003.2.19 秀蔵の甥である正則記す
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福島から長野伊那谷に単身赴任中。ドッジボール、登山などずらずら日記です。

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